創刊60周年を迎えた岩波新書


1997年は岩波文庫創刊70周年の年であったが,今年1998年は岩波新書が創刊60周年を迎える。それに伴い,12月に「図書」の創刊60周年記念増刊号で,作家,研究者ら429人による「私が薦めるこの1冊」を特集。ここで一番多く推薦されたのは,「万葉秀歌」(斉藤茂吉),「新唐詩選」(吉川幸次郎・三好達治),「日本の思想」(丸山真男),「知的生産の技術」(梅棹忠夫)などであった。
また1月にはアメリカ,政治,環境問題,コンピュータなど29のテーマに基づくブックガイド「岩波新書をよむ-ブックガイド+総目録」(岩波書店編集部編)を刊行。「文庫総目録」のようにいちいち内容梗概はないものの,テーマ別に詳しく紹介されている。まあ,これは実用性重視の新書と,文庫の読まれ方の違いということであろう。

岩波新書の歴史

岩波新書の創刊は1938年11月。以来60年間で,赤版から青版,黄版,新赤版と装丁を変えつつ,刊行点数は2000点を超えた。それぞれの版の刊行時期は以下の通り。

赤版1938-46:日中戦争の最中に創刊,戦前98点,戦後3点を刊行
青版49-77:戦後の再出発から高度経済成長,石油ショック,ロッキード事件
黄版77-87:日本の転換点
新赤版88-:冷戦の終結をはさんで現在まで

岩波文庫の創刊の精神は,創刊の辞である読書子に寄すで示され,これは70年間変わることがなかった。しかし,時代に即した内容をもつ新書にあっては,巻末の岩波新書についても版が変わるたびに書き換えられ,各々の時代を反映したものにならざるを得なかった。

その歴史を追ってみると,現在掲載されている「岩波新書について」には署名がないが,創刊当時の創刊の辞には文庫同様,岩波茂雄の署名があった。これについては,雑誌「文庫」(1954年6月号)におもしろいエピソードが載っている。

「岩波新書は昭和12年,日華事変がはじまった直後に計画されたものである。この発刊の辞は,現在の青版新書には附いていないが,はじめの草稿は編集部で書いたが,それはまったく岩波の気に入らなくて没書になった。岩波はひそかに苦心して宣言文を作り,自分の友人の中で自分の心もちを素直に理解してくれそうな人を4,5人選んで見てもらい完成した。その宣言文はごぞんじのように激しいものであったから,編集部の反対を押し切るためには彼の態度は高壓的であった。果たせるかな新書が反響あるのと同時に宣言に対する反撃は猛烈であった」

ついで,動乱の時代1970年には,すでに岩波茂雄の署名はなく,「戦争直度とは全く一変した政治的・社会的現実に直面し,かつてない深い思想的混迷をも迎えている。….知性をもってこの時代閉塞を切り拓こうと努めている人々,この困難な時代を真摯に生き抜こうとしている人々は,けっして少数ではない。….その人々の要請にこたえる精神の糧を提供する」とうたっている。

高度成長時代まっしぐらの1977年には,「戦後はすでに終焉を見た。人間の基本的権利の伸張,社会的平等と正義の実現,平和的社会の建設,国際的な視野に立つ豊かな文化創造」。

バブル華やかなりし1988年,「わが国にあっては,いまなおアジア民衆の信を得ないばかりか,近年にいたって再び独善偏狭に傾くおそれのあることを否定できない。….豊かにして勁い人間性に基づく文化の創出こそは,岩波新書が,その歩んできた同時代の現実にあって一貫して希い,目標としてきたところである。….初心に復し,飛躍を求めたいと思う。」

こうしてその変遷をみてくると,なるほどそれぞれの時代に即した新書らしい宣言ではあると思う。

それでは,その「初心」なる岩波茂雄の発刊の辞はどのようなものだったのか。なんでも復刻したがる岩波書店でも,これはなぜか”そっとしておこう“と考えているようで,戦後の読者の中には,まだ見たことのない方もいられるかと思い,ここに全文を復刻することにした(戦前の岩波新書をお持ちの方は,その巻末をご参照願います)。長文であるが,当時の岩波茂雄の心境がストレートにあらわれており,なかなか興味深いものだと思う。

 


「岩波新書を刊行するに際して」岩波茂雄

天地の義を輔相して人類に平和を与え王道楽土を建設することは東洋精神の神髄にして,東亜民族の指導者を以て任ずる日本に課せられた世界的義務である。日支事変の目標も亦茲にあらねばならぬ。

世界は白人の跳梁に委すべく神によって造られたるものにあらざると共に,日本の行動も亦飽くまで公明正大,東洋道義の精神に則らざるべからず。東海の君子国は白人に道義の尊きを誨ふべきで,断じて彼等が世界を蹂躙せし暴虐なる跡を学ぶべきではない。

今や世界混乱,列強競争の中に立って日本国民は果たして此の大任を完うする用意ありや。吾人は社会の実情を審にせざるも現下政党は健在なりや。官僚は独善の傾きなきか,財界は奉公の精神に欠くるところなきか,また頼みとする武人に高邁なる卓見と一糸乱れざる統制ありや。

思想に生きて社会の先覚たるべき学徒が真理を慕ふこと果して鹿の渓水を慕ふが如きものありや。吾人は非常時に於ける挙国一致国民総動員の現状に少なからぬ不安を抱く者である。

明治維新5箇条の御誓文は啻に開国の指標たるに止らず,隆盛日本の国是として永遠に輝く理念である。之を尊奉してこそ国体の明徴も八紘一宇の理想も完きを得るのである。然るに現今の情勢は如何。

批判的精神と良心的行動に乏しく,ややともすれば世に阿り権勢に媚びる風なきか。偏狭なる思想を以て進歩的なる忠誠の士を排し,国策の線に沿はざるとなして言論の統制に民意の暢達を妨ぐる嫌ひなきか。これ実に我国文化の昂揚に微力を尽くさんとする吾人の竊に憂ふる所である。

吾人は欧米功利の風潮を排して東洋道義の精神を高調する点に於て決して人後に落つる者でないが,驕慢なる態度を以て徒らに欧米の文物を排撃して忠君愛国となす者の如き徒に與することは出来ない。近代文化の欧米に学ぶべきものは寸尺と雖も謙虚なる態度を以て之を学び,
皇国の発展に資する心こそ大和魂の本質であり,日本精神の骨髄であると信ずる者である。

吾人は明治に生れ,明治に育ち来れる者である。今,空前の事変に際会し,世の風潮を顧み,新たに明治時代を追慕し,維新の志士の風格を回想するの情切なるものがある。皇軍が今日威武を四海に輝かすことかくの如くなるを見るにつけても,武力日本と相竝んで文化日本を世界に躍進せしむべく努力せねばならぬことを痛感する。

これ文化に關與する者の銃後の責務であり,戦線に身命を曝す将兵の志に報ゆる所以でもある。吾人市井の一町人に過ぎずと雖も,文化建設の一兵卒として涓滴の誠を致して君恩の萬一に報いんことを念願とする。

曩に学術振興のため岩波講座岩波全書を企画したるが,今茲に現代人の現代的教養を目的として岩波新書を刊行せんとする。これ一に御誓文の遺訓を體して,島国的根性より我が同胞を解放し,優秀なる我が民族性にあらゆる発展の機会を與へ,躍進日本の要求する新知識を提供し,岩波文庫の古典的知識と相俟って大国民としての教養に遺憾なきを期せんとするに外ならない。

古今を貫く原理と東西に通ずる道念によってのみ東洋民族の先覚者としての大使命は果たされるであろう。岩波新書を刊行するに際し茲に所懐の一端を述ぶ。

昭和13年10月靖国神社大祭の日