物語-取材のために訪れた向島は玉の井の私娼窟で小説家大江匡はお雪という女に出会い,やがて足繁く通うようになる。物語はこうして墨東陋巷を舞台につゆ明けから秋の彼岸までの季節の移り変りとともに美しくも,哀しく展開してゆく。昭和12年,荷風58歳の作。木村荘八の挿絵が興趣をそえる。
永井荷風,本名壮吉。別号は断腸亭主人。東京に生まれ。ゾラに傾倒し、『地獄の花』を書いたのち、アメリカ、フランスへ遊学。帰国後『あめりか物語』『ふらんす物語』を発表するなどして流行作家となる。その後,慶大教授となり『三田文学』を主宰したが、大逆事件で文学者の無力を痛感し、江戸戯作者として生きることを決意。花柳小説に専心し、『腕くらべ』『おかめ笹』では芸者、『つゆのあとさき』では銀座の女給を描いた。小説,随筆のほか,訳詩集『珊瑚集』,日記『断腸亭日乗』(いずれも岩波文庫所収)がある。
墨東綺譚は,数ある荷風の作品中,もっとも人気があるものの一つ。私自身も「つゆのあとさき」に横目をつかいつつ,やはりこれが一番好き,と考えています。1992年には新藤兼人監督により映画化(津川雅彦と墨田ユキでしたね)され,これもなかなか気分を出していました。
本書で荷風が描くところの小説家・大江は,荷風の分身ではありますが,極めて虚構性・匿名性の強い人物で,大江の書く小説を物語の中に挿入するという2重構造により,一層それが際だちます。その虚構性が,やはり虚構の世界に生きる娼婦の姿と感応して,写実的でありながらファンタジックな雰囲気を醸し出しています。本書の読者は,主人公が巷間を漂うまま,ともに流されていくしかありません。それは一種気持ちのよい,根無し草感覚といえましょうか。
岩波文庫版は,岩波書店より出た初版本(つまり新聞連載時)と同じ木村荘八の挿し絵つき。初版本より先に出た100部限定の私家版には,ほかに荷風自身が撮影した写真が10葉あることがポイントですが,これは最近の荷風全集に収められ,見ることができます。この写真には,小説の舞台となった玉の井駅や芸者衆の後ろ姿など,それぞれ荷風の句も添えられており,なかなか味のあるものばかり。挿し絵とはまた違った,荷風のイメージした墨東が伺えて興味深いところです。
荷風については,いろいろな本が出ていますが,そのうちのいくつかを。「永井荷風ひとり暮らし」(松本哉,三省堂)は,荷風がなぜ家族から離れてひとりだったのか,財産はどこで作ったのか,離婚の真相,ホントにケチだったのか,終生の愛人との関係,荷風の墓は….など,三面記事的ですが荷風の生活に迫った面白い本です。
同じ著者の「永井荷風の東京空間」(河出書房)は,上記の本と体裁や内容がよく似ていて,違う出版社であることが信じられないほどですが,こちらは,生誕地,断腸亭,偏奇館,墨東,吉原,疎開先の明石,岡山,終焉の地である市川など,荷風ゆかりの地を詳細に描いており,荷風の足跡を辿るときにとても参考になります。
荷風逝去の状況についても,当時の新聞や雑誌をもとに詳しく調べていて,それによると….
千葉県市川市八幡町….に住む芸術院会員,作家永井荷風氏(79)が30日(34年4月)急死しているのを朝8時ごろ同家にきた通いの手伝い婦,同市….福田とよさん(75)がみつけ,付近の佐藤優剛医師に知らせた。口から血をひどく吐いているので胃潰瘍の悪化からではないかと一応診断したが,大事をとって市川署に届け,検死を求めた結果,医師の診断通りで,死亡は午前0時ごろと推定された。
奥の6畳の居間の床の上に,南向けにうつ伏せになり,古びた紺背広,焦げ茶のズボンをはき,茶のマフラーをかぶったまま絶息しており,普段持ち歩いていた預金通帳や現金などの財産を入れたつり下げバッグが床のそばに置かれてあった。福田さんの話では,永井さんはこの一月ばかり体の調子が悪いようで,外出はせず,食事にだけときどき出ているようだったが,こうしてにわかに亡くなるとは思わなかった,と言っている。
荷風の臨終写真を見たことがありますか? 昭和史全記録(毎日新聞社)などに載っていますが,家政婦にも絶対立ち入らせなかった蜘蛛の巣だらけの部屋の中,2500万円が入ったバックの傍らで丸まっている荷風の姿は忘れられませんね。