第一次世界大戦前夜,1913年に執筆,14年に刊行されたH.G.ウェルズの「解放された世界」は,のちの第2次世界大戦における原子爆弾の惨害を「予言」したものとして,しばしば引用されます。
オットー・ハーンによるアイソトープの観測と核分裂の発見は1938年ですから,執筆当時はまだ原子爆弾はもちろん,ラザフォード-ボーアの原子モデルですら存在していませんでした。本書は,世界戦争における原子爆弾の使用を1950年代とし,それがパリやロンドンなど世界各国の大都市に投下された結果,各国の都市機能,政治機能が完全に麻痺し,旧来の「国家」が崩壊,世界共和国が実現するまでの物語で,そのあたりの「歴史的」事情については,本書の序説やウェルズ自身による序文に詳しく述べられています。
巻末には,訳者による「ウェルズと日本国憲法」と題する「解説」がついており,「解放された世界」で示された強力な国際連盟案は,ウェルズの「人権宣言」に関するルーズベルト大統領への書簡となり,それがポツダム宣言,ひいては日本国憲法の成立に直接の影響を与えたこと。戦後の我が国における個人の自由と平等と権利,平和と進歩と繁栄はなんといっても現行憲法,つまりウェルズの人権平和憲法のおかげであること,などが書かれています。
訳者が発掘したという,ルーズベルト大統領とウェルズとの往復書簡がどれほどの大発見であるかはわかりませんが,ウェルズの世界共和国構想がどのようなものであったのかを知ることができます。訳文がすっきりしていないのが難ですが,ウェルズの理想国家像を知る上で興味ある作品といえるでしょう。
ウェルズは原子爆弾が欧州の大都市ではなく,極東の2都市に落とされたことを知ってすぐ,1946年に亡くなりました。原子爆弾は国家に対しウェルズの予測に近い深刻な打撃を与えましたが,科学知識の発達により独立主権国家,独立帝国はもはや存在不可能であるというもう一つの予測には,まだ回答が与えられていません。