今なぜ「ローマ帝国衰亡史」

古い記事なので,消えてしまう前に転載(東京新聞より)。

88/02/20 東京夕刊 社会面 『今なぜ「ローマ帝国衰亡史」 復刊岩波文庫が異常な人気 数千セット増刷中』

岩波書店(東京・一ツ橋)の復刊文庫本「ローマ帝国衰亡史」が異常な人気を呼んでいる。10冊セットで5700円するが,1万セット近くを予定していた同書店は相次ぐ注文にあわてて数千セットを増刷中だ。物質文明が成熟したあと,やがて衰亡に向かったローマ帝国。高度に物質社会が発達しながら「先行きの見えない」現代日本。その似たような世紀末特有の雰囲気が共感を呼んでいるのではないかと分析する学者もいる。購買層は四十代以上。本離れが言われるさ中のうれしい誤算に,同書店では「良い本を求めようとする読者はまだまだ多い」と意を強くしている。
今,なぜローマ帝国なのか-。

◆現代日本とソックリ?◆ 「ローマ帝国衰亡史」は,昭和26年から34年にかけ,英米文学者の故村山勇三氏の訳で1セット全10冊が刊行されたが,50年の重版を最後に絶版となった。同書店では,岩波文庫発刊60周年を記念して昨年,絶版となっている文庫本の復刊を計画。7月に文庫本2300点総目録を出版した際,復刊希望を調べるリクエストカードを折り込んだところ,昨年暮れまでに約9000通が寄せられた。その中で「ローマ帝国衰亡史」の希望カードが約300通でトップだった。これを受けて同書店では,昨年11月の第1回復刊(34点)に続いてこの2月,2回目の30点を復刊した際に,「ローマ帝国衰亡史」を売り出した。
「有名な作品だが,全10冊という長大さからあまり売れないだろう」。同書店はそう予測し,他の復刊本並み以下の1万セット弱を刊行した。ところが,東京・八重洲ブックセンターが「500セット用意してほしい」と注文したのを皮切りに,丸善からも「400セットを」と続き,全国の店頭でも,並んで10日もすると売り切れが続出,取次店からの注文が殺到して応じ切れなくなった。岩波ブックセンターでは発売当日,約100セットが売れたという。
購入者のほとんどは40歳以上の男性だった。岩波書店では現在,3回目の増刷中で,復刊合計は1万数千セットになる。鈴木稔編集部課長は「完全な誤算。なぜこんなに人気があるのか,こっちが教えてもらいたい」と肩をすくめる。全巻の完訳はこの文庫本しかないという事情も影響しているようだ。
「今は古典がよく読まれている。先行きがよく見えない現代人が,昔の人の知恵に学ぼうとしている表れだろう。『ローマ帝国衰亡史』もその一環と言える」と分析するのは木村尚三郎東大教授(西洋史)。木村教授の説はこうだ。現代には,大きな思想がないうえ,低経済成長時代で五年先もよく見えない。一方では物質生活は豊かだが,超電導やバイオテクノロジーが開花するのはまだ先。「未来を開くカードがない手詰まりの状態」が現代だという。
「古代ローマも物質文明が成熟した。行きつくところまで行き,それから先,良くなるという期待感がない。現代も,経済活力のダウン,高齢化社会の到来が予測されるなど,未来は進歩発展より衰亡への不安が強まっている」古代ローマ帝国はローマに人口が集中,3,4世紀になると年間の半分は労働を休み,ぜいたく,飽食がはびこった。「そんな古代ローマと現代日本を見比べると,日本はどうすればそうした衰亡から抜け出せるかわかるかもしれない,という意識が読書熱につながっているのではないか」と木村教授は分析する。鈴木さんは「絶版になってから十数年。この間,読者の需要が少しずつ高まってきて,一気に爆発したのでしょうか」と異常人気の背景を自分ながらに結論づけている。
同書店では3回目の増刷で,一応,「ローマ帝国衰亡史」の復刊を打ち切るという。