4月30日
2年ほど前に出た「満里奈の旅ぶくれ-たわわ台湾」(渡辺満里奈)が文庫化された(新潮文庫)。
SARSの影響で観光的にはピンチの台湾だが,中国茶第一,地元料理第二で飲みまくり食いまくりのこのグルメ旅行記は,台北のほか台南,
高雄,台中と各地の情報も交えて,結構実用的。満里奈と台湾とのタイアップCM企画と考えてしまうと,今ひとつノリ切れないかもしれないが,
まあ彼女のハマリ具合を素直に楽しもう。文庫版をパラパラ見たところでは,新しい情報がかなり追加されているようなので,
これから旅行に行く人には,単行本よりこちらをお薦め。
4月28~29日
曜日の巡り合わせが悪く,なんとなくゴールデンウィークに突入してしまった感じですね。書棚を整理しながら,久しぶり,
といってももう何度読み返したのかわからない河出文庫版「時刻表2万キロ」(宮脇俊三)を,また読むことに。昭和50年代,
もちろんまだ国鉄時代の乗りつぶしの記録だが,新線,廃線により鉄道事情が変わっても,本書の魅力は衰えていない。ほかにも,
懐かしい本をいくつか拾い読みしながらの整理であるから,全然捗らず,結局のところ,少々風を入れただけで終了。連休後半には,
散り散りになっている全集本の確認など,やりたいことはいろいろあるのだが,果たしてどこまでできることやら。
4月26~27日
週末は一足飛びに夏がやってきた!という暑さで,海岸には水着姿もちらほら見受けられました。岩波文庫「道徳感情論」(下巻)
を読み終わったところで,新刊「多情多恨」と「ライ麦畑・・・」の解説本「ライ麦畑をつかまえる!」(青春出版社)に取り組んでいるところ。
「・・・つかまえる」は,主人公ホールデンが学校を出てからの3日間(つまりこの物語の全部),なにをしていたのかを時系列でまとめたもの。
ほかに登場人物辞典やサリンジャーの詳しい紹介などもあり,なかなか楽しく参考になる。地味な体裁の本だが,「ライ麦・・・」
を読んでしまった人に,お薦め。こんな感じで,「罪と罰」や「武器よさらば」なんて出てくれたら面白いのだが。
4月25日
書斎館の記事を読んでいたら,なんとなくパーカーの新しいペンが欲しくなり,デッドストックもののデュオフォールド・センテニアル・
パールアンドブラックを入手。私の初パーカーは,30年前,中学生の時,雑誌のおまけのような万年筆を使っていた私に,
父がシンガポールで買ってきてくれたもの。以来,何本かのパーカーを使ってきましたが,
大人になるとカッコつけてモンブランやイタリアものに関心が行ってしまい,ご無沙汰に。久しぶりに使ってみて,
しなやかな書き心地に独りニヤニヤ。
4月23~24日
どうも詩集というのには照れがある。学生時代,立原道造全集を買おうと,大学生協の書店を散々ウロウロして笑われた私にとって,
ワーズワースやブラウニング,ましてやハイネなどの詩集を「下さい」というのは,勇気がいることなのだが,
オンライン書店というのはその点いいですな。そんなわけで,宅急便で届いた岩波文庫新刊「対訳 テニスン詩集」を読む。
岩波文庫のテニスンとしては,戦前から出ているイノックアーデン,イン・メモリアムに次いで3冊目。テニスン(1809-1892)は,
サマズビーの牧師の子として生まれ,ケンブリッジ大学に学ぶ。1827年に最初の詩集,50年に長詩「イン・メモリアム」を発表。
ワーズワースの後継者として桂冠詩人になったビクトリア時代の英国を代表する詩人。名詩選などにはよく取り上げられているが,
テニスンの個人詩集の邦訳は,意外に少なく,今回まとめて読めるようになったのは嬉しい。解説も充実している。
4月22日
新刊「カオスだもんね!9 ゲーム編」(水口幸広)を読む。週刊アスキー連載のレポートマンガも,いよいよ第9巻。
当然1巻からずっと読んできました。今回の話題は,ミズグチ画伯が自ら製作に携わったネットゲームを初体験,100円ライターの秘密,
宇宙食の試食,ガンプラ,ベイブレード・・・などなど。不思議な担当編集者ふーみんの話題も満載で,相変わらず楽しい。ちなみに,
週刊アスキー誌は,パソコンの情報誌ですが,このマンガにはパソコンの話題はありません。
4月21日
朝日新聞社の新刊「手紙の文章教室」は面白い。「小説トリッパー」に連載されたもので,嵐山光三郎,青山南,みうらじゅん,
伊佐山ひろ子・・・といった面々が,手紙への思いや,作例?を披露。自然体で書くことは難しいが,「なんでもない葉書というのは,
じつのところ一番上等なる手紙であって,少なくとも手紙を書いている数分間は,相手のことが心の中にあった」という嵐山氏のことば
(氏の作例は,借金の督促なのだが)に頷いている。
4月18~20日
ここのところ,週末になると天気が悪くなり,残念ですね。岩波文庫の新刊「三人妻」,改版なのでどうしようかと思っていたが,今回,
単行本初版の武内桂舟の口絵が収録されたとのことで,買うことに。当時の財界人の醜聞にヒントを得て作られたといわれますが
(三菱批判の政治小説だという話も),明治期の色道小説というか,豪快で面白い話。
4月17日
「キャッチャー・イン・ザ・ライ」には,訳者あとがきや解説がない。それは,原著者の意向によるわけだが,
解説代わりに訳者自身のことばを。
『(高校生の頃,野崎訳で最初に読んだとき)文体には強く惹かれたような気がしますね。内容についてはあとになると,
意外にあまり覚えていなかったんですよ。ただいくつかの情景の細かいところなんかは,ずいぶんはっきりと鮮やかに記憶してたな。最初の,
学校の丘の上にいるあたり,それから,スペンサー先生がエジプト人についての作文を読み上げるところとか,
ストラドレイターが髭を剃っているところなんかははっきり思い出せるんだけど,どういうわけか,
電車に乗ってニューヨークに行ってから後のことは,ほとんど記憶にないんですよ。だから,
内容的にはそんなに深くは感じ入らなかったんじゃないかな。ただ,文体みたいなものはすごく頭に残ってますよね。とくに,
出だしのところのたたみかけるようなクリスプな文体とかね。(その後,読み返すことがなかったのは)
武装闘争みたいなものが時代に入ってくると,やっぱりちょっとこれは,なんといってもブルジョアの……。そう,反抗的とはいえ,
お坊ちゃんの神経症的な話だから。別に自分の中でそのへんをきちっと整理したというわけではないんだけど,
もう一度じっくり読み返そうという気持ちにはとくになれなかったし,誰かとこの本について語り合うということもなかったような気がしたな。
サリンジャーのほかの作品はだいたい全部読んだんですが,『キャッチャー』は再読しなかったな。だからそんなに『キャッチャー』
にはまったというわけではないんです。〈来る〉ということでいえば,カポーティなんかの方がずっと来ました。でも『キャッチャー』って,
再読していないわりには,そして「そんなに来なかったよ」とかしらっと言っているわりには,不思議に心に深く強く残ってるんです。
僕の人生を通じて,自分の中に常に『キャッチャー』という存在があった。そういう意味じゃけっこう不思議な小説ですよね。
簡単に忘れられない。視野の端っこあたりにしつこく留まり続けている。でも人生の愛読書であるとか,具体的に影響を受けたとか,
そういうことはないですね。(今回,自分で訳したのは)自分の中に根強く残っている,僕にとっての『キャッチャー』
という小説の存在感みたいなものを,このへんで一度徹底的に文章的に洗い直してみたいという気持ちがあったからじゃないかな。
自分なりに再評価,再検証してみようみたいなところです。あと,僕に『キャッチャー』を翻訳してほしいって希望する人が,
僕のまわりにずいぶん多かったんですよ。友だちとか,編集者とか。一般読者からもそういうメールみたいなものはけっこう来ました。
それで僕も最初は「ええ? 僕が『キャッチャー』?」みたいなことを思っていたんですが,そのうちに「そうだな,
それもあるいは面白いかもしれないな」と,だんだんその気になってきたというか。僕が『キャッチャー』を訳すとしたら,
いったいどんな文体になるんだろうとか,わりに真剣に考えるようになってきました。考えれば考えるほどやりたくなってきた。
僕としてはやはり文体上の関心が一番大きかったですね。古典……もう古典ですよね,本が出てから50年だから。古典となった『キャッチャー』
を一回自分の手でやってみたいなという気がしてきたんですよね。主に文体的な興味です。古典となった『キャッチャー』に対して,
文体的に僕にどんなことができるんだろう,と。』(続きは白水社で)
4月15~16日
白水社の新刊「キャッチャー・イン・ザ・ライ」(村上春樹訳)を読む。40年ぶりの村上春樹の新訳サリンジャーということで,
相当の期待を持って読んだのだが,正直なところ,かなりの違和感が残った。それが,イメージと違う声優によって吹き替えられた映画のように,
強引に訳者のスタイルに引き入れられようとすることへの抵抗感なのか,日本語として解釈されすぎていることの辛さなのかは,
自分でもよくわからなかったが,少なくとも,村上春樹の作品を読んでいるような気分にり,
サリンジャーの影が薄くなってしまった感は否めない。もっとも,読み手も30年近く前に初めて読んだときの感激を,
どれだけ覚えているのか怪しいものだし,もし主人公ホールデンと同じ16歳のときにこれを読んだのなら,
また違った感じを持っただろうとは思う。残念ながら,私はホールデンを胡散臭い若者,と思う歳になってしまった。まだ
「ライ麦畑でつかまえて」を読んだことのない中学生,高校生にはお薦めしたい。
4月14日
手紙といえば,仕事で,ある女性から手紙を貰った。そこには,「パソコンの調子が悪いので,
申しわけありませんが手書きで失礼致します」と書いてあった。私自身はこれまで,普通の手紙にワープロを使うのは,
自らの悪筆と能率上の都合で,やむを得ず・・・ということだと思っていたので,これにはビックリした。もしかしたら,
手書きよりワープロの方が正式な(礼に適った)手紙だと考える人がいるのかもしれない。しかし,
手紙が差出人の心情をあらわすものであるなら,やはり手書きに勝るものはない。
4月11~13日
週末,当地では25度を超えて夏日となり,ちょっと外でサッカーの相手などしていたら,汗びっしょり。河出文庫の新刊
「美しい日本語を究める 手紙のことば」を読んだが,電子メールや携帯電話でなんでも済ませることが多くなり,ポストに入っているのも,
ダイレクトメールと請求書ばかり・・・という現在,あえて手紙を書こうという人が増えている(らしい)。本書は,
吉行淳之介や三島由紀夫などの手紙にまつわるエッセイをメインに,古くから伝えられる手紙の書き方や,
作家や著名人が友人や家族に宛てた手紙を集めたもの。それぞれ,人柄がよく出ていて興味深い。これからの作家の全集には,「電子メール集」
などというのが含まれるのだろうか。とても収集不可能に思えるが。
4月10日
本日,新潮社より「新潮新書」が創刊された。創刊第1弾は,磯田道史,ドナルド・キーン,ビートたけし,養老孟司など10点。
『最後発としての,覚悟と情熱』で存在感のある新書を目指すとのこと。 ビートたけしは,買おうかと若干逡巡したが,中身が薄い
(面白くないという意味ではなく,物理的に)感じがしてやめてしまった。
4月9日
岩波文庫「道徳感情論」(アダム・スミス)を読む。元来利己的である人間が,社会においてどのようにして共存できるのか,
というのがテーマ。人間は,自身の利益とは直接関係が無くても,他人の喜びや悲しみに「共感」することができる。そして,その共感は,
個人に特有なもの,あるいはその人だけにしかわからないというものではなく,他の人々にとっても共通のものであって,
お互いに分かち合うことができる。共感するためには,共感する側が自己の経験をもとに想像力を働かせる必要があり,
共感する対象と類似の経験を既にしていることが必要だ。自己の経験が,他人と重複していることで,共感作用が発生し,その快感によって,
協調関係が築かれていく。この人間的な感情を素直に,自由に表現することができるような社会が,新しい市民社会である。しかし,
このような市民社会を形成し維持するためには,経済的な豊かさが必要だ。衣食足りて礼節を知る。
健康で文化的な生活を営むことが可能となるような物質的生産の基盤をつくらなければならないと考えて,スミスは後に「国富論」を書き上げた。
こんな解釈で良いのだろうか。
4月8日
岩波文庫「排蘆小船・石上私淑言-宣長「物のあはれ」歌論」を読み始めたが,これは難関ですな。『宝暦13年,
34歳の宣長にはすぐれた2つの歌論があった。だが生涯公表されることなく,筐底に秘めて置かれた。
当世和歌の現状に対し歌とは何かを問う処女作「排蘆小船」,そこでの〈心に思ふこと〉は「石上私淑言」で〈物のあはれをしる心〉
と変化し文学論の大道を切り拓く。合せ鏡のごとく宣長思想を映しだす2作品を併載』という惹句には興味を持ったのだが,やむを得ず,
丁寧な解説を先に読んでいるところ。「物語は,世の中の物のあはれのかぎりをかき集めて,読む人を深く感ぜしめんと作れる物なり」
(源氏物語)。「物のあはれ」とは,哀切な物事に触れて,心にしみじみと感じる深い感動のことで,本居宣長は,「源氏物語」に表れる
「物のあはれ」に注目し,これを日本文学の理念であるとした。とりあえずもう少し。
4月4~7日
当地ではここのところ暖かい,というより汗ばむような日が続き,桜も満開です。そんな中,息子の小学校入学式へ。新しい同級生には,
幼稚園のときの友達も多く,子供達もあまり緊張した感じはなかったのですが,親の方は気疲れしました。岩波「図書」4月号が,
まだ届いていないようなのですが,皆さんのところには届きましたか? どこかへ紛れてしまったのかしら。
Yahooブックスの「絶対はずさない! プラチナ本」コーナーでは,「ダ・ヴィンチ」
編集部員が厳選した1冊をプラチナ本として紹介しています。誰が読んでも「絶対はずさない」本というのがホントにあるのかわかりませんが,
『すごい! 本当にすごい! 著者に感服し,作品に感謝。ありがとう』っていうのは,紹介としてはちょっと大げさすぎませんか?
4月3日
岩波書店は,山口昭男代表取締役常務を代表取締役社長に,坂口顯代表取締役常務を代表取締役専務に,後藤勝治取締役を常務に,
それぞれ昇任することを内定した。社長代行を含め7年社長を務めた大塚信一氏は退任する。5月下旬開催の株主総会と取締役会で正式に決定。
4月2日
どうしようか・・・とずっと悩んでいた「華麗なる万年筆物語」(グラフィック社)を買ってしまった。普段,
文庫本メインの身に4000円は,とっても敷居が高いのだ。本書には,限定品や稀少品など51本の万年筆が紹介されている。表紙の
「ジュリアス・シーザー」(デルタ)をはじめ,「ヘミングウェイ」(モンブラン),「高蒔絵万年筆・藤」(パイロット)など,
内外の美しい万年筆と,それにまつわるエッセーが楽しく,これはホントに目の毒。「こだわり」という言葉は好きではないが,
こういう万年筆を普段使いして,たくさんの手紙が書ければいいな,と思う。
4月1日
岩波現代文庫の新刊「新編 愛情はふる星のごとく」(尾崎秀実)
。本書は1946年秋に刊行され,48年まで3年連続のベストセラーとなった。著者は,「国際諜報団」によるスパイ事件と騒がれた
「ゾルゲ事件」
に連座,太平洋戦争前夜に検挙された。敗戦直前の44年秋,死刑執行。獄中から妻と幼い娘にあてた書簡を集めたのがこの本である。
これらの書簡は,自身の世界観や信念についてもふれているが,何よりも「非国民」のレッテルを張られて暮らす妻への愛情にあふれている。
最初の版元の世界評論社は間もなく倒産したが,その後,三笠書房,青木書店などが文庫版を刊行。今回の岩波版は,120通余を収録,
従来の削除部分を原本によって復元したとのこと。