2003年6月

6月30日

岩波書店のホームページで「図書」のバックナンバーの目次と一部の記事が読めるようになっていたけれど,これは前からありましたか?
 まあ,図書もよいのですが,著者番号順既刊リストを整備して掲載してくれれば,大いに役立つのに・・・。

 

6月27~29日

日曜日には,市民センターへ岩手県水沢市製作の映画「アテルイ」を見に行った。子供には理解しにくい内容かなと危惧していたが,
結構興味を持って見ていたようだ。無味乾燥な教育映画ではなく,古代東北地方の族長アテルイが,
大和朝廷の征伐隊と戦う姿を迫力あるアニメで描いた歴史物だが,大友康平やグレート・サスケ,あんべ光俊が声優として出ているのには驚いた。

岩波アクティブ新書の新刊「ベトナム町並み観光ガイド」(友田博通)を読む。いま,ベトナム観光が人気急上昇中とのこと。
たしかにフランス統治下につくられた町並みやオペラ座,王宮や遺跡など,見所はいっぱいなのだろうが,1950年代生まれの日本人としては,
他の東南アジアの国々と比べて,大はしゃぎで観光することに後ろめたさを感じるのも事実。本書は,
ベトナムの歴史をわかりやすく解説しながら,その歴史の名残を,いまの町並みから建築家の目で淡々と読みとろうとしており,好感が持てる。

 

6月25~26日

ここ数日,書店へ行っても読みたい新刊文庫が目につきません。「蟹工船」は旧版で読んでいるし。プロレタリア文学,
ときいただけで読む気をなくす人もいるかと思いますが,この小林多喜二の代表作は,若々しい感性にあふれており,
現代の若者にも大きな衝撃を与える問題作だと思います。治安維持法違反で逮捕された多喜二は昭和8年,
31歳の時築地警察署で獄死しましたが,警察は死因を「心臓麻痺」と発表。死体解剖も行われませんでした。翌日,
阿佐ヶ谷の自宅に運ばれた多喜二の体には,無数の拷問のあとがあり,その無惨な遺骸を抱いて,年老いた母は「それ,もう一度立たねか,
みんなのためもう一度立たねか」と声を浴びせたということです。

 

6月23~24日

カメラ至上主義! (平凡社新書)雨の日が続いていますね。平凡社新書の新刊「カメラ至上主義!」(赤城耕一)を読む。
筆者がこだわりをもつカメラを使った被写体別撮影術。コンタックスRTSIII妻を撮る,リコーGR1V駅までのイメージ,
ニコンF100子供を撮る,ペンタックスMZ3街を撮る,ニコンF5カメラを撮る,キヤノンEOS-1V動物を撮る,
ライカMP交差点に立つ,といった内容で,ほかにデジタルカメラの実体,クラッシックカメラの未来といった章がある。結局のところ,
お手軽なデジタルカメラの普及により,メカニカルなクラッシックカメラは,趣味性の追究が生き残りの道・・・
というありきたりな結論にならざるを得ないが,本書の焦点がカメラと写真のどちらにあるのかハッキリせず,
田中長徳氏のような独特な節回しも無いので,今ひとつ乗りきれない感じ。

 

6月20~22日

週末は30度を超える暑さの中,息子の付き合いで幕張メッセへ。GBAのジラーチをゲットしたあと,
ベイブレードの小学生勝抜戦で5連勝してBBAチームのステッカーを貰ったという,関心のない人には全然訳の分からないイベントですが,
とにかく疲れました。

林芙美子紀行集下駄で歩いた巴里岩波文庫の新刊,林芙美子の「下駄で歩いた巴里」を読む。昭和5年「放浪記」で人気作家となった著者がその翌年,
シベリア経由でパリを訪れ,1年余りを過ごしたときの記録に,やはり昭和初期の中国,北海道への旅行記を併載したもの。
政府による派遣ではなく,良家の子女の留学でもなく,この時代に自ら稼いだ印税をもとに,
新たな経験をもとめて若い女性が単身欧州へ貧乏旅行(今風で言うバックパッカースタイルである)を決行したことに,まず驚かされる。
たとえ外国語が達者じゃなくても,なんとかなるさと,旺盛な好奇心,取材意欲を発揮しており,
とくに各地の女性達に対するさりげない観察眼には,さすがだと思わされる。林芙美子の日記や放浪記,このパリ滞在記など,
ノンフィクションのように生き生きと書かれながら,実際は相当に脚色されていると最近は考えられているようだが,
二つの大戦の間のつかの間の平和を享受するパリの姿はとても魅力的だ。

 

6月19日

もっとコロッケな日本語を文藝春秋の新刊「もっとコロッケな日本語を」(東海林さだお)を読む。相変わらずB級グルメや(夜の)クラブ活動など,爆笑話が満載。
そんな中でとくに興味深かったのが,
雑誌にエッセイを連載することとなった高橋春男さんが達人東海林氏に上手なエッセイの書き方の教えを請うという「文章の書き方,教えます」。
無手勝流で気楽に書き流しているように思える東海林氏だが,まず,ネタ垂れ流し状態で下書きをどんどん書き,1,2日寝かせてから,
濃縮したり削ったり入れ替えたりして,くどいところや書き足りないところを整理し,それを3回ほど繰り返して,
ようやく清書するというのにはビックリ。また,雑誌連載だけでなく,本になったときのことも考えて,
話の展開がワンパターンにならないように気を付ける,メモをとるときには時間を必ず入れる,声に出して読んでもリズムの良い文章を心がける,
出だしは短く1行でまとめる,思い切って激しいタイトルをつける,などなど達人としての心得を開示していて感心させられる。

 

6月18日

故郷続いて岩波文庫の新刊「故郷」(パヴェーゼ)を読む。イタリア・ネオ・リアリズム文学の嚆矢たるこの作品。明快なストーリー,
イタリアの暑くけだるい空気,田舎の荒くれ者たちとそれを取り巻く女たち,血と藁のにおい・・・・と,
読んでいるこちらまで喉の渇きを覚えてくるほど。こういう小説は,白水社の世界の文学や全集版で力を入れて読むよりも,
岩波文庫で気楽に読む方が自分には向いているようだ(白水社本て,格好良いなぁと思っていろいろ買ったわりには,
身に付いていない気がするので)。

 

6月17日

今月の岩波文庫新刊は読むものが多くて嬉しい。ということで,まず「デイジー・ミラー ねじの回転」(ヘンリー・ジェイムズ)を。
ヘンリー・ジェイムスとデイジー・ミラーとヘンリー・ミラーは尻取りみたいだ・・・という話は前にも書いたので省略し,岩波文庫では,
昭和11年と15年に別々に出て以来,久しぶりの改訳合体版。帰りの電車でデイジー,朝の電車でねじの回転,
と一気に通勤時間内で読み通したが,このジェイムズ代表作2点は,止まらない面白さだ。さまざまに解釈されているという「ねじの回転」では,
かつての従僕に教えられた男色のために少年は放校され,その従僕と前の家庭教師との淫らな関係に引きずり込まれた少女,
それを見て見ぬふりの家政婦。従僕と家庭教師がともに死んだ後,新たにやってきた家庭教師が異常な家庭に精神を病んで亡霊を見た・・・
というのが私の印象。最初にしつこく語られる子供達の異様なかわいさ・・・ということからも,やはり同性愛のイメージは強い。「デイジー・・
・」は整理番号313-9。ジェイムズが9点もあったか?と調べてみると,(2)国際エピソード<復刊>,(4)短篇集,
(5~7)ある夫人の肖像,(8)アスパンの恋文,は出ているので,(1)と(3)
はデイジーとねじの回転のための予約席だったのかなと思ったりして。

 

6月16日

BRUTUS最新号「自分のためにアートを買いたい!」を読む。現代アートを「買う」ための特集。たくさんのギャラリスト!
(つまり画廊の経営者,プロデューサね)により紹介されるアーティストは,奈良美智,村上隆などを除いて私の知らない人ばかりだが,
いまこんなモノがこんな値段で売られているんだということを知るだけでも十分に楽しめる。美術館で眺める芸術ではなく,時計や洋服のように,
身近なアートを手に入れて,自分の部屋に飾る。これは精神的に大きな癒しとなりそうだ。ちなみに我が家にある現代アートは,
関西の金属造形作家によるオリジナル作品「息子のベッド」(カミサンが使用中)くらい・・・。

 

6月15日

ビックリした田中長徳責任編集「カメラジャーナル 終刊のお知らせ」。アルファベータ社によると,『突然ですが,124号をもって,
本誌は幕を閉じることにしました。8頁・100円時代から10年と4か月,リニューアルしてからは丸2年での終幕となります。
これまでのご購読,ありがとうございました。そして,執筆者の皆さん,販売していただいている書店,カメラ店のみなさんにも,
深く感謝いたします。やめることにした理由は,もちろん1つではありません。単純に考えれば,「売れなくなった」からだろう,
と思う方は多いでしょう。確かに,最もよく売れていた時期と比較すれば,部数は少なくはなっていますが,リニューアル前とその後とでは,
号によっては,リニューアル後のほうが多いぐらいで,さほどの差はありません。経営的には無理をすれば続けられるという範囲ではあります。
しかし,その無理をする理由が,どうも見出せなくなってきたので,終刊と決めました。10年,という区切りがついた時点で,
楽しみにしていただいている多くの読者の方には申し訳ありませんが,このあたりが潮時であろう,と感じた次第です。・・・
最後の号となる次号のための投稿のテーマは,「田中長徳によろしく!」です。たくさんのおハガキ,お待ちしています。』 なんとなく,
昔のBOOKMAN終刊の時を思い出しました。

 

6月12~14日

梅雨の合間,海で子供と一日サッカーや穴掘りをやっていたら,真っ赤に日焼けしてしまいました。来週末は,
幕張メッセのワールドホビーフェアに出撃するので,この休み中にやらなければならないこともあったのですが,気力が充実せず,
サボりを決め込んでいました。ちくま文庫の新刊「内田百間集成9 ノラや」について。
『そもそも私は猫好きと云ふ一般の部類には這入らないだらう』という百間ですが,昭和31年の春,可愛がっていた野良の子猫「ノラ」
がいなくなった日から,ずっと涙が止まらず,ノラを思い出すからと好物の鮨も止め,新聞広告を出し,区役所に頼みこんで,
死んだ猫を掘り返させて貰ったりもしています。なぜそれほどまでにノラにこだわったのか・・・読み進むうちに,百間の悲しみは,
単なる猫好きのそれに留まらない,少々怖ろしさを感じさせるようなものだと思えてきます。「岩波日本語使い方考え方辞典」が欲しいけれど,
ここのところ貧乏なので,思案中。

 

6月11日

本格的な梅雨入り。知恵の森文庫の新刊「カメラ悪魔の辞典」(田中長徳)を読む。古今東西の名機,写真用語に関する800語を解説。
「悪魔」とはいうものの,別に毒があるわけではなく,いつも通りのチョートク節を,相変わらずだなぁ・・・とあらためて確認する,
ファンのための本。とにかく,これだけの項目を考え出した地道な努力に感心。

 

6月10日

トーキョー・リアルライフ 42人の消費生活「トーキョー・リアルライフ 42人の消費生活」(実業之日本社)が発売早々4刷決定とのこと。私もさっそく読みましたが,
これは面白い。主に東京近郊に住む42人の若者(10~30代)に,ひとり1ヵ月ずつ,毎日の消費行動を詳しく記録してもらい,
まとめたもので,学生,フリーター,OL,サラリーマン,自営業と,登場する人の職業はさまざま。しかし,
皆がその職業からイメージされる生活を送っているとは限りません。むしろ,消費行動は,
それとは別の個人的な資質によるところが大きいと感じました。共通しているのは,収入の多寡によらない可処分所得の多さ。もっとも,
これは子持ち40男の僻みかもしれません。

 

6月9日

日経ビジネス文庫の新刊「ビジネス文章術」(坂井尚)を読む。何事も反省しない小生らしくない,と思われるかもしれないが,
日頃なんとなく自分流にやってしまっていることが,細かく例をあげて解説されており,なかなか便利。
日頃気になるビジネス電子メールの作成方法については,今回の文庫化で追記された程度であるが,
何かと便利な電子メールばかりとなったビジネス文書のやりとりに関して,旧来の文書の有用性を考え直してみるのは大切なことだと思う。

 

6月5~8日

ちくま文庫で刊行が始まった「現代民話考」(松谷みよ子,全12巻)。かつて立風書房から出ていた本書には,
インターネット上での復刊リクエストも多かったようで,今回若干増補しての文庫化となった。民話という言葉には,「昔話」
というイメージがあるが,ここに収められているのは,現代の「民衆により語られた話」である。よって,その中身は,軍隊時代の思い出話や,
学校の怪談,ラジオやテレビにまつわる裏話,怪しい写真など多彩で,あえていえば,「戦争と近代化の過程の暗部」を題材としたものである。

 

6月4日

雑誌「ラピタ」には毎号,『この雑誌は30歳以下の読者を想定しておりません。ゆえに,しばしば若者には意味不明な言葉や,
見たこともないモノが登場します。とくに説明などいたしませんので,そのつもりでお読み下さい。』という断り書き?が載っている。
どのような雑誌でも,ターゲットとする読者の年代というのは決まっているのだろうが,文庫本にしてみると,
岩波文庫>新潮文庫>河出文庫>講談社文庫>光文社文庫>幻冬舎文庫>小学館文庫>角川文庫>集英社文庫などという順かな,
としょうもないことを考えてみる(もちろん,平均読者年齢の高い順である)。

 

6月3日

新潮文庫の新刊「発掘捏造」(毎日新聞取材班)を読んでいる。報道によりよく知られるところとなったこの事件の詳細経過を振り返ると,
なぜこんな簡単な捏造がたびたびなされたのか,学界はそれを見破れなかったのか。門外漢でも,
日本の考古学研究のあり方に疑問を感じざるを得ない。本書は,マスコミらしくうまくまとめられているので,
この事件を振り返ってみるのには役立つ。立花 隆氏はこう言う。『発掘捏造はメディアの記者自体がだまされたのであり,
現場で記者が取材の当然の手続きとして疑いの目を持たなければならないポイントでも持たないまま報道してしまった。
それに対するメディアの側の自らの検証というのも過去にさかのぼってやらなくてはならない。ただ,
こういう発掘ねつ造みたいなことが発覚すれば,これからは,記者の目も報道する時に違ってくるでしょう。新しいことが起きれば,
人間のものの見方も自然に変わってくるし,報道の仕方も変わってくるものです。』

 

6月2日

BRUTUS最新号の時計特集など眺めながら考える。宝飾品,貴金属のではなく,純粋な機械の値段として,1千万円,
2千万円の腕時計というのは,抜群の「価格密度」といえるのではなかろうか。というのは本題とは関係なく,学研M文庫の新刊
「夢野久作ドグラマグラ幻戯」に注目。この間の「村山槐多耽美怪奇全集」に続いて,なかなか面白いモノを出してくれるじゃありませんか
(1600円という値段もそれなりですが)。「ドグラマグラ」は,夢野久作自らが「幻魔怪奇探偵小説」と呼んだ異色の大作。本書は,
その謎に迫るべく編まれたガイドブックで,文庫初収録の「ドグラ・マグラ草稿」や関連作品を収録。これを機会に,怪しい世界に入ってみよう。

 

6月1日

早くも6月。雨が上がったのはよいのですが,海からの南風が強く,部屋の中がジメジメ。夜には叔父の通夜に行って来ましたが,
蒸し暑くて参りました。さて,「私の好きな岩波文庫」で上位になった書目から,どれか1冊ということになると,私の場合,
「君たちはどう生きるか」(吉野源三郎)でしょうか。これは,私が中学に入った頃,主人公と同年代ということで,熱心に読んだものです
(もちろん岩波文庫版ではありませんが)。主人公のコペル少年が,何日も学校休んでいる貧しい友の家を訪れたとき感じたこと,
上級生とのいざこざで友が殴られたとき,他の同級生が立ち向かっていったのに,自分は勇気がなくて出て行けなかったこと・・・
いまでもいろいろなエピソードが思い出されます。1937年に書かれた本書。
私が読んだ1970年までに戦争を挟んで33年経っていましたが,当時物語の背景にはさほど違和感を感じませんでした。
そしてそれから再び33年経った今,中学生達は本書を読んで,どのような感想を持つのでしょうか。物語の最後で,
主人公と共にいろいろなことを考えてきた読者に対して,著者はこう呼びかけます。「君たちはどう生きるか」。