10月30~31日
岩波文庫10月新刊の「山の旅 大正・昭和篇」。どこの本屋に行っても見つからず,結構売れているんだなぁ,と思っていたら,
11月に発売延期とのこと。10月は(って毎月そうなのだが)4冊しか新刊がないんですよ。それもそのうち2冊は改版。もちろん既読。
読むものがないじゃありませんか。それでも岩波書店に苦情殺到,社長はあわててお詫び・・・という話もきかないので,
“よくあること”などと思っている岩波文庫ファンは,気の長い人種なのでしょうね。
10月29日
新潮文庫の新刊「第二阿房列車」(内田百間)を買う。1000円近い文庫本も多いこの頃,
400円というのは得した気分。もっとも,書棚にあるはずの旺文社文庫を探すのが面倒だからという理由なので,たとえ損はしても,
もちろん得したわけではない。百間先生は,相変わらず気の向くままにぶらりと汽車の旅。着いた先でも,
名所旧跡などもちろん巡らず,何となくぶらぶらと旅館にこもって酒盛り。とは言っても,有名人の先生のこと,
あちこちで記者に追いかけられ,つまらないインタビューを受け,国鉄のお偉いさんからの接待を受けなければならぬ。
めんどくさいと思いつつも,結構付き合いのよいところを見せ,鉄道マニア臭さを払拭している。昭和28年,戦後の復興が進み,
再び輝きを取り戻しつつあった鉄道の記録として,楽しく,また興味深く読むことができる。
10月28日
「悪魔物語・運命の卵」(ブルガーコフ)読了。「悪魔物語」は,かなり風変わりな小説で,
これが当時のソ連当局の官僚主義に対する風刺だということはよく分かるが,正直なところ,本作品が文壇に与えた大きな影響や,
最近になってようやく再評価が進んでいることなど,私の勉強不足であろうが,文学史的な興味以上を感じることはできなかった。「運命の卵」
は,世界的な生物学者が発見した生命増殖の効果を持つ赤色光線に目を付けた男が,鶏と間違って蛇やダチョウの卵を照射してしまい,
巨大化した動物により街がパニックになるという,SF特撮映画によく出てきそうな筋立て。ソ連らしく,寒波によりそれらの動物が死滅し,
助かったという結末なのだが,やはり当局を皮肉った場面があちこちにあり,面白く読むことができた。
10月27日
岩波文庫の新刊「悪魔物語・運命の卵」(ブルガーコフ)を読み始める。読み始めては見たものの,途中で,
これは?と思い読み返すことが多く,なかなか難解だ。感想は後日ということにして,作者紹介。ブルガーコフは,キエフに生まれ,
大学卒業後医師となるが,1920年代に文筆活動を始め,「悪魔物語」,「犬の心臓」
などを書いたが当時のソヴィエト政権から激しく批判され,発表できたものは限られていた。戯曲も多く手がけ,
ロシア革命に反抗し滅び去っていく者達の運命を描いた自伝的長編「白衛軍」を戯曲化した「トゥルビン家の日々」は,
モスクワ芸術座で上演されて大きな成功をおさめたが,その後上演禁止となった。晩年は正当に評価されることなく,
孤独と失意のうちに死んだが,ソ連体制下の文学者の象徴的存在であった。戦後,粛清された作家達が名誉回復される中で,
ブルガーコフの再評価の動きは遅かったが,死後20年以上経ってから出版された長編「巨匠とマルガリータ」
は国内のみならず全世界で出版され絶賛された。
10月23~26日
週末,平家物語(をじっくり読むという計画)があまり進まず,ようやく2巻目が終わったところ。巻五の終わりで,福原遷都,南都焼討,
頼朝の挙兵があり,いよいよ平氏の権勢も危うしといった場面。そんな中,新しいメガネを作りにいったのですが,検査をしながら,「最近,
眼が疲れ気味で,ピントが合いにくいんですよね」と言うと,店長曰く,それは疲れ目と言うより老眼の始まりで,
次に作るときは2焦点にしないと駄目ですよ,とのこと。あぁ,そんな歳になったのか,とちょっとガックリ。
常にパソコンと向き合っての仕事だから,眼を休めたいと思っても難しいし・・・。
10月22日
ポケットブック判のハリーポッター。書店で見かけて買おうかと思いましたが,思いとどまりました。やはり,2回読むほどのことは・・・
という気持ちになったのかも知れません。これがバカ売れするとしたら,ハリーポッターもたいしたもの。苦戦しそうな感じがします。
10月21日
木下順二氏の影響で,「平家物語」(岩波文庫の新版)を取り出してきて,またぞろ読み始めました。本書は,
注が私にとっては過不足無く付けられているので,電車読書には役立ちます。古典に詳しい人なら,ちょっと煩わしいと思うかも知れません。
当地(神奈川県)も,朝夕はめっきり涼しくなり,紅葉と共に読書の秋真っ盛り,と言いたいところですが,ここのところ雨続きで,
私の読書スペースたる通勤の満員電車は,モワーっと蒸し暑く,なかなか快適な読書とはいきません,家に帰れば,
児童書やコロコロコミックを一緒に読ませられるし・・・。そろそろ岩波文庫の新刊に取りかかりたいと思っています。
10月20日
恒例の新橋駅前大古書市が開催中。さっそく文庫本関係の出物は,と探してみたが,古いものでは,とくに珍しくない岩波文庫若干と,
箱入り時代(だけど箱無し)の旺文社文庫があるくらいで,あとは新しい物ばかりだった。趣味系の雑誌は,いろいろ出ているので,
サライとか太陽のバックナンバーを探している人はどうぞ。ドカッと置いてあるだけなので,探すのは大変そうだが。
10月19日
岩波現代文庫の新刊「古典を読む 平家物語」(木下順二)を読む。平家物語を,俊寛,文覚,清盛,義仲,義経,
知盛という人物ごとにその生涯を追いつつ,史実や関連する文献を交えて,分かりやすく読み解いてくれるもの。古典音痴,
というかそもそも歴史音痴の私でも,興味を持って読むことができた。平家物語に関するサイトは沢山ありますが,
簡潔にまとめられているのはここ。
10月16~18日
週末は,何度か書店に足を運んだものの,これといった新刊に巡り会うことができませんでした。そんな中,幼稚園の運動会
(息子が卒園生として競技参加)や,鵠沼海岸へサーフィンやビーチバレーの大会を見に行ったり,近場でバタバタしていました。
日本書籍出版協会では,出版社共同企画「期間限定 謝恩価格本フェア」をスタート。「謝恩価格本」の販売は,出版社の判断により,書名・
期間を決めて定価拘束を外すもので(正式には「時限再販」),今回は出版社がインターネットを利用して,直接販売する方法。販売価格は
「表示定価金額」の50%引きまたは30%引きの2種類。期間終了後は出品図書の多くが定価販売に戻る。詳しくは,バーゲンブック.jpを参照願います。ちなみに,バーゲン品には,
定価表示部分に定価商品とバーゲン価格商品を判別するためにシールを貼って出荷するとのこと。何となくコソコソした感じがいやだが,
興味のある本がありましたら,どうぞ。
10月15日
久しぶりに万年筆のインクを買いに,銀座伊東屋へ行った。パーカーのブルーブラックとブラックのボトルインク。
最近値上がりして1瓶600円。それでもモンブランやイタリアのインクに比べれば割安だ。最近の万年筆のインクは,
水に流れるものがほとんどなので(もっぱら乾燥による詰まり防止のため),公文書には使えなくなってしまったが,
それでも脂ぎったボールペンとは比較にならないと思い,使い続けている。海外では,万年筆のブームが長く続いているのに,
日本ではときどき話題にはなるものの,あっけなく消えてしまうのはなぜだろう。ブランドにこだわる若者など,
もっと注目してくれてもよいと思うが・・・そもそも字を書かないのか?
10月14日
新潮文庫「東電OL症候群」(佐野眞一)を読む。「東電OL殺人事件」(新潮文庫)の続編だが,
この両書は発行以来,東電本社至近という当地の場所柄か,周辺の書店で常に平積み状態であった。前書は,
犯人とされたネパール人被告が第一審で無罪判決を言い渡されたところで終わっていた。その後,ご承知の通り,
控訴審判決で無期懲役が言い渡され,現在は最高裁で争われている。佐野氏は当初より本件は冤罪であるとして取材を続けてきた。
本書には,女性の読者から寄せられたルポもあり,多くの女性が「我が内なる渡辺泰子」に共感して,現場を訪れているという。
気が重くなる本だが,共感できるのは女性ばかりではない。,
10月12~13日
3連休は,急に大雨が降ったり,生暖かい風が吹いたり,変な天気でしたね。平凡社「東洋文庫」のオンデマンド出版が始まりました。興味はあるのですが,
私には高くて手が出そうにもありません。今月の岩波文庫重版は,山の本特集ということで,おなじみ「アルプス登攀記 全2冊」(ウィンパー)
,「日本アルプスの登山と探検」(ウェストン),「新編 山と渓谷」(田部重治),「山の絵本」(尾崎喜八),「新選 山のパンセ」
(串田孫一)が一気に出ます。それは嬉しいとしても,ウィンパーの古典的名著や,この間(97年)
出たばかりのウェストンが品切れになっていたというのも残念な話。
10月11日
珍しく土曜日に九段で会議。その合間に,岩波文庫の新刊・・・といってもだいぶ経ってしまった「山の旅」
を読む。明治から大正にかけて「山の旅」に関する紀行,エッセーをまとめたもの。執筆者は,正岡子規,幸田露伴,夏目漱石,
柳田国男,芥川龍之介,志賀直哉,宇野浩二,など錚々たる面々で,『山岳』など雑誌に寄稿したものが多い。訪れた山も,
尾瀬や穂高,伊豆・箱根はもとより,明治期の欧州アルプスやスイスなどバラエティーに富んでおり,
往年の登山スタイルを窺うことができて楽しい。「日は漸く高く上って全山真白のユングフラウは眼もくるめくばかり,
そのリッジの雲一つなき晴れた空,藍を通り越して殆ど黒ずんで見える空との界は得も言われぬ鮮さである・・・
豪宕の景森厳の気これを味わんとするものはこの時此処に来って立つの外断じて策はないのである。
恍として自己の存在を没却し了した」,クラッシックな文体に男らしさが映える。
10月10日
乱歩「黒蜥蜴」の最後,「石榴」を読む。憎しみ合う2人の男が行方不明になり,残されたのは顔を硫酸で潰された男の死体。
犯人は逃走した。あとは,おきまりの「顔のない死体もの」かと思うと,若干のひねりはある。発表当時の本作は,文芸評論家からは悪評,
作家仲間からは黙殺,若い世代には比較的好評だったとのこと。乱歩というのは,自作の評判をものすごく気にする人なのだ。
10月9日
光文社文庫乱歩全集「黒蜥蜴」より「人間豹」を読む。なぜだか分からないが人間なのに豹のような体を持つ男とその父親が,
若い女性を拐かし,自分の意のままにならないと食い殺してしまう。この事件に首を突っ込んだ明智探偵の妻も誘拐され,
熊の着ぐるみを着せられ,サーカスの檻の中で虎と対決する羽目に。耽美小説(SM小説)と言うべきか,美女が裸にされて獣に襲われ,
ボロボロになっていくのを見て面白がるという,ちょっと情けない話だ。乱歩自身も,
『例によって一貫した筋が熟していないまま書き始めたので,全体としてチグハグな感じだし,毎月執筆しているうち,
ある月はちょっと面白い筋が浮かんだかと思うと,ある月はひどくつまらないという,例の私のくせが露出している。しかし,
当時の娯楽雑誌はこういう子供らしい読み物をも要求していたので,私の長篇はたいへん需要が多かったのである』などと言っている。
10月8日
エイ出版社の新刊「コンパクトカメラ通信2号」を買ってきた。だいぶ前に出た1号も持っているのだが,
正直このデジカメ主流の時代に,銀塩の高級コンパクトカメラを扱った本の第2弾が出るとは思わなかった。
登場するカメラ自体は前号と大差ない(新しい銀塩コンパクトがあまり出てこないのだから当然だが)ものの,
カールツァイスの撮り比べや,植田正治氏の巻頭撮り下ろしほか,バラエティに富んだ作例が載っていて,眺めているだけでも楽しい。
こういうときは,デジカメじゃなく,以前使っていたT2とかTVSなど,
もう一度手に入れて使ってみようかなぁという気にさせられる(その資金も無いのが残念)。
10月7日
光文社文庫乱歩全集の新刊「黒蜥蜴」より,黒い虹と黒蜥蜴を読む。黒蜥蜴といえば,
三島由紀夫や美輪明宏などの舞台を連想するが,そもそも,長椅子に閉じ込められて運ばれる令嬢,
人間を剥製にして宝石と共に飾る恐怖美術館,ダーク・エンジェルこと黒蜥蜴と名探偵明智小五郎との対決,
その中で生まれる妖しい愛情など,ドラマチックな仕立てに事欠かない作品。斬新なトリックなど無いが,
おどろおどろしい雰囲気だけで十分楽しませてくれる。黒い虹は,合作探偵小説の第1作を乱歩が受け持ったもの(このあと,水谷準,
大下宇陀児,森下雨村,海野十三,甲賀三郎と続いた)。なので,物語の発端しか書かれていないが,
乱歩はそれなりに面白そうな仕立てを用意してはいる。全文は春陽文庫で読めるようだが,私は未読。
10月6日
小学館文庫「教科書から消えた名作」(村上 護)を読む。本書は,小中学校の教科書に取り上げられた「名作」
が,年代をおって変わっていく様子を調べたもの。執筆の動機は,『「ゆとり教育」がはじまって,「国語」
の授業時間が史上最低となった。そしその影響をもろにうけたのが教科書に掲載の「名作」であった。漱石の「坊ちゃん」も鴎外の
「高瀬舟」もほとんどの教科書から消えてしまったのだ。文部省の「ゆとり」とは,内容を少なくして,
効率よく学ばせたいというものだろうが,本当は逆である。残すべきは精神の根幹ともいうべき国民的名作である。
名作が教科書から消えて,文化的損失は計り知れない。』 実際,巻末の年表によると,名作の採用から見た戦後の国語教科書には,
大きく3つの時期があるようで,一つは戦後すぐの古典的名作をたくさん取り上げていた時期。次にやや数は減るものの,
我々に馴染みの深い作品が増える昭和40年代(伊豆の踊子などもこの時期だ),そして,昭和50年代以降の大幅な減少期。「
(教科としての)国語は文芸など含まない」という意図がありありと見えるが,親としてはせいぜい「ゆとり」
を本に親しむ時間にしてあげるしかないか。
10月3~5日
土曜日は小学校の運動会。幸い天気には恵まれて,無事終了。息子は前日まで風邪で不調でしたが,
本番はどうにか元気で頑張っていました。我々の小学生の頃に比べると,町をあげてのお祭りという感じが無くなってしまったので,
盛り上がりには欠けるように思いますが,生徒・先生・保護者ともども気楽な気分でやるのが,今流なんでしょう。もっとも,
私の小学校は生徒数が2000人を超えていたので,その半分しかいない現在の状況では,やや寂しいというところでもあります。
10月2日
出張疲れ?で,なかなか捗らないながらも,「虚栄の市(1)」を読了。だが,次を待つのが辛いな。
10月1日
改訳された岩波文庫新刊「虚栄の市(1)」を読み始める。旧版の6分冊から今回は4分冊になるのだが,
毎度言っているとおり,通勤読書には分冊が細かい方が嬉しいのだ。それでは売りにくいとしても。いずれにしても,
久々に腰を据えて読むことにしよう。訳はなかなかこなれていて,違和感が感じられないのが嬉しい。