レクラム文庫と岩波文庫

 レクラム文庫(Reclams
Universal-Bibliothek)

正式な名称は「Universal-Bibliothek」ですから,百科文庫,世界文庫(あるいは万有文庫)
となるのでしょうが,我が国では普通,「レクラム文庫」と呼ばれています。ドイツの
レクラム社が1867年にゲーテのファウストを第1冊として創刊したシリーズで,かの
「読書子に寄す」に記す通り,岩波が文庫を刊行するにあたって, レクラムを範としたことでも知られています。

レクラムの創業者アントン・フィリップ・
レクラム
は,1807年生まれ。 ライプティッヒで貸本屋を営む一方,雑誌の発行や印刷業にも手を広げ,できる限り廉価で
良書を提供したいという趣旨のもと,60歳を過ぎてレクラム文庫を創刊しました。

1867という年は,ドイツに於ける著作権法制定の年であり,それまで著者に無期限に与えられて
いた著作権が死語30年までと規定されたことにより,古典作品の刊行が自由となったわけで, これも文庫創刊の大きな契機となったようです。

レクラム文庫以前にも,いくつかの廉価本が出ていましたが,いずれも抜粋物で, レクラムのように完本で,
なおかつ読者の選択の自由に任せ,一冊ずつ分売するという システムは画期的でした。そのため当初は,
書物の価格低下と利益減少を恐れる出版界や 取次からの猛烈な反対に見舞われましたが,学界や文壇の後援とレクラム自身の強い決意
によって,毎月10冊の刊行を続けていきました。

レクラム文庫最初の10冊(1867年11月刊行)

  • ゲーテ「ファウスト第一部」
  • ゲーテ「ファウスト第二部」
  • レッシング「賢者ナータン」
  • ケルネル「剣と琴」
  • シェークスピア「ロミオとジュリエット」
  • ミュルネル「罪」
  • ハウフ「美術橋上の乞食乙女(ラウラの絵姿)」
  • クライスト「ミヒャエル・コールハウス」
  • シェークスピア「ユーリウス・ツェーザル」
  • レッシング「ミンナ・フォン・バルンヘルム」

大きさは現在の岩波文庫とほぼ同じ(創刊当時の岩波文庫はやや縦長)14.7×9.4cmで, 初めは装幀も同じ薄茶色でした。
岩波文庫が1970年代まで採っていた星の数で価格を示す システムも,レクラムに倣ったものです(当時レクラム,岩波とも★一つ20銭)。

第二次世界大戦で打撃を受けましたが,場所をシュトットガルトに変えて再建。創刊以来 今日までの130年間で,
15,000点以上を刊行したレクラム文庫は,百科文庫という 名の通り,
ドイツのみならず世界各国の人文科学,社会科学,自然科学など,広いジャンルの タイトルを揃えていて,収録内容の厳選と厳密な校訂
(これは岩波文庫も謳っていますが….) には定評があります。文学史家バルテルスは,「あえて珍書あさりをせず,レクラム版で
読みうる限りはこれで読む」ことを主義にしていましたが,これも一つの見識でしょう。

レクラム文庫は古くから日本でも読まれており(第一次世界大戦までのレクラム文庫の 輸出先は日本が第一位だった),
ことに鴎外はこれを愛読し,「即興詩人」など, ドイツ語訳のレクラム版からの重訳となっています。客が来ると,レクラム文庫の料理の
本の中から家人にレシピを読みきかせ,料理をつくらせた上で,レクラム料理と 称して出した,
という話を小泉信三が紹介していました。

また,武者小路実篤は,電車に乗らずに歩いて,その代わりにレクラムを買うという方針を たてていて,いちど「新しい村」
の出版部でレクラムのような小さい本を作ってみたが, うまくいかなかったと語っています。