バルザックの小説は読まれなくなった。それは,本題にはいる前の能書きが長かったり,情景描写,舞台設定が細かすぎ,現代小説の話のテンポに慣れている読者には,それらを読まされる時間が耐えきれないからだという。また,いわゆる若い読書人たちの中には,名も知らぬマイナーな作品を尊び,「世界文学全集」的な作品を敬遠するのがよい,という気分もあるようだ。それで,いまどきバルザックの代表作「ゴリオ爺さん」なぞを読むのは,よほどの暇人ではないか?と思われるかもしれないが,我慢比べとなるかどうか,とりあえず読んでみることにしよう。
「ゴリオ爺さん」は500ページほどの物語である。ページを順に追っていくと,最初に舞台となる下宿屋とその住人の説明があり,主人公ゴリオの最初のせりふ「あれはわしの娘ですがね」が出てくるまでに50ページが経過。もう一人の主人公ラスティニヤックはそのすぐあとに登場するが,この第一章はそのまま170ページまで続き,やっと「パリ悲劇の序幕はこれをもって終わりとする」。この最初の50ページはまったく淡々とした書きっぷりで,あまりに細かい描写が出てくるから,かえって「舞台」の全体像が見えてこない感がある。しかし,バルザック自身,「観察と地方色に満ちあふれたこの小説の独特な味わいはパリっ子にしかわかってもらえないだろう」と言っている通り,当時の読者であるパリの人々には,これでさぞかしリアルなイメージを与えることができたのだろう。そして,これが退屈でないとは言い切れないが,ジョルジュ・サンドが「バルザックの作品は….どの1ページにせよ,書き落とすことがあったら,全体は不完全なものとなろう」と語った通り,ここを読み飛ばしては,あとあと面白くない。実際,バルザックは長大であるが,少なくとも冗長ではない。
ご承知の通り,バルザックは「人間喜劇」と題する作品集91篇を書いている。そのいわば巨大な大河小説の中で,最高の作品のひとつが「ゴリオ爺さん」であることは間違いない。異なる作品に同じ人間を何度も登場させるという手法も,この作品から始まった。よって,バルザックの他の作品を読むことで,ゴリオに登場した貧乏学生ラスティニヤックが,その後どのようにして驚異の出世を遂げたのか,不死身の男ヴォートランがいかに脱獄に成功し,パリ警察で活躍することになるのか,を知ることができる。
その膨大な作品の中で文庫本で出ているものは少ないし,岩波でも大方絶版である。バルザックに魅せられると,あとが大変だ。もっとも貴方が,「バルザックばかり読んでいられないから….」とゴリオだけで卒業してしまっても大丈夫。岩波文庫版の訳注は親切で,その辺の事情をうまくまとめている。
バルザックの経歴はモームの「世界の十大小説」(岩波文庫)に詳しい。写真はパリ市内のバルザックの像と,ペール・ラシューズ墓地にあるバルザックの墓。